日本フィギュアスケート界において、かつてない歴史を切り拓き続けているペア「りくりゅう」こと三浦璃来・木原龍一組。2026年2月のミラノ・コルティナ五輪での劇的な大逆転金メダル獲得は、日本中に大きな感動をもたらしました。
本記事では、彼らがなぜ「奇跡のペア」と呼ばれるのか、そのプロフィールや知られざる下積み時代、世界頂点へ至るまでの軌跡、そしてファンを虜にする数々の「愛されエピソード」までを徹底解説します。
「りくりゅう」のプロフィール

三浦 璃来(みうら りく)
- 生年月日: 2001年12月17日 (24歳)
- 出身地: 兵庫県宝塚市
- 略歴: 5歳の時、テレビでフィギュアスケートをするディズニーのアニメ映画を見たことがきっかけで「私にもできる!」と思い立ち、スケートを始める。元々は女子シングル選手だったが、ペア競技のダイナミックな動きに魅了され14歳でペアへ転向。ジュニア時代から国際大会で経験を積み、その天真爛漫で物怖じしない性格と圧倒的なスケーティングセンスで世界を魅了している。
木原 龍一(きはら りゅういち)
- 生年月日: 1992年8月22日 (33歳)
- 出身地: 愛知県東海市
- 略歴: 4歳の時にスケートと出会い、氷上でのキャリアをスタートさせる。長らく男子シングル選手として全日本選手権などでも活躍していたが、「大学卒業後も長く現役を続けたい」という競技への強い情熱から、21歳だった2013年にペアへの転向を決断。過去に別のパートナーとソチ五輪(2014年)、平昌五輪(2018年)に出場した経験を持つ。度重なる怪我や引退の危機といった苦悩を乗り越え、深い懐と献身的なサポートでペアを牽引する頼れるベテラン。
1. 栄光の陰にあった「勝てない日々」終わりの見えない下積みと苦悩
彼らの現在の華々しい活躍からは想像しにくいかもしれませんが、「りくりゅう」結成前、2人はそれぞれに長く苦しい下積み時代と挫折を経験しています。特に木原選手のペア転向後の道のりは、怪我と苦悩の連続でした。
世界の壁と「出場するのが恥ずかしかった」という苦悩(木原選手)
2013年に男子シングルからペアへ転向した木原選手は、高橋成美選手、その後は須﨑海羽選手とペアを組みました。ソチ五輪(2014年)、平昌五輪(2018年)と2大会連続で出場を果たし、団体戦では日本の順位に貢献しました。 しかし、個人戦ではともにショートプログラム(SP)で下位に沈んで敗退し、フリースケーティングに進むことすらできませんでした。世界のトップペアとの歴然としたレベルと技術の差に打ちのめされ、木原選手はのちのインタビューで当時を振り返り「(実力不足で個人戦に)出場するのが恥ずかしかった」と吐露するほど、精神的に深く思い悩んでいました。
大怪我による欠場と「引退」の決意(木原選手)
木原選手は精神的な苦労に加え、肉体的なダメージも彼を襲います。ペア競技特有の激しい練習の中で、脳震盪や肩の関節唇損傷といった選手生命を脅かす大怪我を負います。 特に2018-2019シーズンは、全日本選手権で優勝したものの、脳震盪のダメージによる安静が必要となり、代表に選出されていた四大陸選手権と世界選手権の欠場を余儀なくされました。そして2019年4月に須﨑海羽選手とペアを解消。結果が出ず、度重なる怪我にも苦しんだ木原選手は「自分はペアに向いていない」と限界を感じ、本気でスケートからの引退を決意する寸前まで追い込まれていました。
成長の壁と突然のペア解消(三浦選手)
一方の三浦選手も、順風満帆だったわけではありません。2015年から市橋翔哉選手とペアを組み、世界ジュニア選手権で10位(2018年)に入るなど、国際舞台でペアとしての基礎を懸命に磨いていました。しかし、シニアのトップ層への壁に直面する中、2019年7月に「方向性の違い」によりペアを解消することになります。 さらに高みを目指したいという強い思いを抱えながらも、突然パートナー不在となり、彼女もまたスケート人生の岐路に立たされていました。
それぞれが行き場を失い、特に木原選手が引退の淵に立たされていたどん底のタイミングである2019年夏。ここで2人の運命が交差し、あの「奇跡のトライアウト」へと繋がっていくのです。
2. 「奇跡の結成」運命のトライアウトと9歳の年齢差
それぞれが行き場を失いかけていた2019年夏、日本フィギュア界の歴史を変える奇跡が起こります。
運命のトライアウトとカナダへの電撃渡航
2019年7月末。当時、ペアを解消してスケートへの意欲を失いかけていた木原選手は、古巣のスケートリンク(愛知県の邦和スポーツランド)で貸し靴や宿直のアルバイトをしていました。本人のインタビューによれば、「正直もうペアには戻らないかなと思い、8月も遊ぶ予定を入れていた」というほど、引退に傾いていた時期でした。

そんな矢先、共通の友人であるアイスダンス元五輪代表・小松原美里さんからアシストを受け、2人のトライアウト(お試し滑り)が急遽セッティングされます。 そこで運命の瞬間が訪れました。男性が女性を頭上に回転させながら投げる「ツイストリフト」を行った際、木原選手は「ツイストってこんなに浮くんだ」と衝撃を受けました。同時に、投げられた三浦選手の方も「こんなに滞空時間が長いんだ」と驚愕していたといいます。のちの取材で木原選手が「体に雷が落ちたような感覚だった」と語るほど、スケーティングのスピード感も言葉を交わさずとも完璧に一致したのです。
「もしかしたらこれは最後のチャンスかもしれない」と直感した木原選手と三浦選手は、結成からわずか半月後の2019年8月12日には、ビザの準備すら後回しにして新拠点となるカナダ・トロントへ電撃的に渡航。名伯楽ブルーノ・マルコットコーチのもとで、新たなペアとして始動しました。
僕のことを好きにならなくていいよ
電撃結成を果たした2人ですが、そこには「9歳の年齢差」という壁がありました。結成当時、木原選手は27歳目前のベテラン、一方の三浦選手はまだ17歳の高校生でした。

ペア競技において、選手たちは氷上で恋人同士のような親密な表情や雰囲気を演出することを求められ、時には本当に夫婦になるペアもいます。しかし木原選手は、17歳の三浦選手が「本当にパートナーを好きにならなきゃ」と思い詰めてプレッシャーを感じないよう、結成直後に「僕のことを好きにならなくていいよ」と優しく告げていました(『女性自身』の取材による三浦選手の祖母の知人の証言より)。
「ペアだからといって無理に恋人のように振る舞おうとしなくていい」。この9歳年上のパートナーからの深い配慮が、三浦選手を精神的な重圧から解放しました。この飾らないフラットな関係性が土台となったからこそ、2人は氷上で見せかけではない「本物の信頼と笑顔」を咲かせることができるようになったのです。
3. 悲願の入賞から「年間グランドスラム」達成への軌跡
結成直後から驚異的な相性の良さを見せた2人ですが、その道のりは決して平坦ではありませんでした。カナダに拠点を移した直後に新型コロナウイルスの世界的流行(パンデミック)に直面し、リンクが閉鎖されるなど十分な練習が積めない時期を過ごします。しかし、陸上トレーニング等で地道に2人の基礎を築き上げ、世界の階段を驚異的なスピードで駆け上がっていきました。
序章:2021年世界選手権と北京五輪での「歴史的7位入賞」
快進撃の兆しが見えたのは2021年3月の世界選手権(ストックホルム)でした。結成約1年半で10位に入り、自らの手で北京五輪の出場枠を獲得します。そして迎えた2022年2月の北京オリンピック。団体戦で日本のメダル獲得に大きく貢献すると、個人戦では合計211.89点をマークし、日本ペア史上初となる「7位入賞」を果たしました。さらにその翌月に行われた2022年世界選手権(モンペリエ)では、これまた日本ペア史上初となる「銀メダル」を獲得し、完全に世界のトップ層へと名乗りを上げました。
2022-2023シーズン:日本スケート史を塗り替えた「年間グランドスラム」
北京五輪で確かな自信を手にした2人は、翌シーズン、フィギュアスケート界の歴史を次々と塗り替える無双状態に入ります。主要国際大会をすべて制覇する「年間グランドスラム」の達成です。
① グランプリファイナル制覇(2022年12月・トリノ)
世界のトップ6組のみが出場できる頂上決戦。ショート、フリーともに1位の完全優勝(合計214.58点)を飾り、日本ペアとして初優勝を果たしました。
② 四大陸選手権制覇(2023年2月・コロラドスプリングス)
標高約1800メートルの高地という、選手にとって非常に過酷な酸素の薄い環境で開催されました。演技後半には体力的に限界を迎えながらも、気力で滑り切り合計208.24点で初優勝。過酷な環境下での金メダル獲得は、2人の精神力の強さを証明しました。
③ 世界選手権制覇(2023年3月・さいたま)

地元・日本開催という大歓声と、かつてない重圧の中で迎えた世界選手権。ショートを首位で折り返したものの、フリーでは三浦選手がジャンプで転倒するミスがありました。しかし、これまで培ってきた高い技術点と演技構成点でカバーし、自己ベストとなる合計「222.16点」を叩き出します。強豪のアメリカペア(クニエリム/フレイジャー組)をわずかな差で振り切り、ついに世界王者のタイトルを手にしました。
この瞬間、日本勢初となる世界選手権ペア制覇とともに、同一シーズンに主要国際大会(GPファイナル、四大陸選手権、世界選手権)をすべて制覇する「年間グランドスラム」という大偉業が達成されました。表彰式の後、長年苦労を重ねてきた木原選手が涙を流し、三浦選手が笑顔でその肩を叩く姿は、2人の軌跡を象徴する名シーンとなりました。
4. 快進撃と歴史的偉業 ミラノ・コルティナ五輪での大逆転金メダル

怪我による苦しい時期も互いを支え合い、日本ペア界の歴史を次々と塗り替えてきた「りくりゅう」。彼らの集大成とも言える舞台が、2026年2月のミラノ・コルティナ2026オリンピックでした。
しかし、個人戦は波乱の幕開けとなります。ショートプログラム(SP)でリフトの落下というまさかのミスが響き、首位と6.9点差の5位と大きく出遅れてしまったのです。五輪という極限のプレッシャーの中で、誰もが「メダルは絶望的か」と息を呑みました。
ところが、失意の底から精神を立て直した2人は、運命のフリースケーティングで世界中の観客の魂を揺さぶる完璧な演技を披露します。叩き出したスコアは、世界歴代最高得点となる「158.13点」。合計「231.24点」という驚異的な数字で、奇跡の大逆転優勝を飾りました。日本フィギュアスケートのペア競技において史上初の五輪金メダルという金字塔です。
絶望的な状況から、なぜ彼らは世界最高得点を叩き出し、会場中をスタンディングオベーションの渦に巻き込むことができたのでしょうか? SPのミスからフリーでの奇跡の復活劇、そして世界中のスケートファンを感動させた演技の「本当の凄さ」と舞台裏については、以下の別記事でさらに詳しく解説しています。
▼あわせて読みたい(詳細記事はこちら)【ミラノ・コルティナ2026オリンピック】りくりゅうペアの演技が世界中を魅了した理由
5. 「りくりゅう」が世界中から愛される理由と伝説のエピソード
彼らの最大の魅力は、圧倒的な技術力と深い絆、そして「氷を降りた後の飾らないキャラクター」にあります。ファンの間で語り継がれるエピソードをいくつかご紹介します。
忘れ物連発の三浦選手と「木原サポート」
氷上では世界を魅了する三浦選手ですが、日常では極端に忘れ物が多いという愛すべき弱点があります。過去の大会やアイスショーでは、「本番で履くスカートを忘れる」「公式練習にタイツを忘れ、衣装チェックが受けられない」といった驚きのハプニングを連発しています。
そして、この「忘れ物伝説」は2026年ミラノ・コルティナ五輪の直後にも発生しました。なんと帰国時の空港で、三浦選手は獲得したばかりの金メダルが入ったバックパックを荷物受け取り所に置いたまま、入国審査を通過してしまうという大事件を起こしていたのです。 帰国後の日本外国特派員協会での記者会見で、木原選手からこの衝撃の事実を暴露された三浦選手は「(荷物が多すぎて)その中にメダルが入ってました…」と苦笑い。あわや金メダル紛失の危機に、会場は大爆笑に包まれました。
しかし、木原選手はこれに対して怒るどころか、全く責めようとはしません。 木原選手は過去のインタビューや会見で、「璃来ちゃんが忘れ物をする時は、それだけスケートにフォーカスしている時」「だから璃来ちゃんの忘れ物は、むしろ良いこと」と語っています。「璃来ちゃんが忘れ物を気にせず自分に集中できるよう、僕が2人分チェックすればいい」と自ら進んでサポート役を買って出ているのです。 自身のすべてをスケートに注ぎ込む三浦選手と、その才能を最大限に生かすためにサポートする木原選手。この海よりも深い木原選手の懐の広さが、三浦選手ののびのびとした演技を引き出しているのです。
ファンの間で大人気の「木原運送」
氷上と陸上のギャップ:何もないところで転ぶ三浦選手
氷上ではスピード感あふれる華麗なスケーティングを見せる三浦選手ですが、実は陸上(氷以外の場所)では驚くほどのギャップを持っています。それは「何もない平坦な道や、ちょっとしたカーペットの段差ですぐにつまずいて転んでしまう」というものです。ペア競技において怪我は命取りになるため、氷の上ではない場所での転倒は絶対に避けなければならないリスクになります。
過保護なまでのサポート「木原運送」の誕生
この最悪の事態を防ぐため、リンク外での移動中、木原選手は常に三浦選手を徹底ガードしています。階段を降りる際には彼女の首の後ろのウェアを掴んで歩かせたり、リンクサイドの段差では腕をしっかりホールドしたり、時には抱きかかえるようにして移動をサポートします。まるで大事な荷物を安全に運ぶかのような、この過保護とも言える献身的な姿を、ファンは愛着と敬意を込めて「木原運送」と呼んでいます。
扱いが子供みたい(笑)
過去のテレビ番組(日本テレビ系『ZIP!』など)でこの「木原運送」について問われた際、木原選手は「陸で転んでケガをされたら本当に困るんで(僕が支えている)」と、純粋なアスリートとしてのリスク管理であることを明かしています。 対する三浦選手は「(支えてもらえるから)自分で歩かなくていいので楽です」「階段を降りる時も猫みたいに首の後ろを掴まれる。扱いが子供みたい(笑)」と、嫌がるどころか全幅の信頼を寄せて楽しんでいる様子を語っています。
ミラノ・コルティナ五輪でも実証された「転びやすさ」
そして、この「璃来ちゃんは陸で本当によく転ぶ」という実際の映像が、2026年ミラノ・コルティナ五輪の大舞台でも全世界に向けて放映されました。団体戦のキス・アンド・クライ(得点発表席)において、叩き出した高得点に驚き、歓喜した三浦選手がバランスを崩して派手に転げ落ちてしまうハプニングが発生したのです。中継を見ていた視聴者の間でも「陸で本当によく転ぶんだな(笑)」「これは絶対に木原運送が必要だ!」と大いに話題になりました。
この「木原運送」は単なる微笑ましいスキンシップではなく、「絶対にパートナーに怪我をさせない」という木原選手の強い責任感と、「龍一くんに任せておけば絶対に安全」という三浦選手の100%の信頼が形になった、究極の絆の証明なのです。
試合前のゲームは「接待プレイ」
2人には氷上の外において、メンタルを支える盤外戦があるといいます。
プレッシャーを跳ね返す「ゲーム時間」
五輪やグランプリファイナルといった極限のプレッシャーがかかる国際大会。その裏側(選手村やホテル)で、2人は『マリオカート』や『桃太郎電鉄』などの対戦ゲームを持参し、一緒にプレイしてリラックスする時間を大切にしています。一見するとただの息抜きに見えますが、実はここにもペアとしての重要な「メンタル管理」が隠されています。
「接待プレイ」による機嫌取り
極度の負けず嫌いである三浦選手。対戦ゲームにおいて、木原選手には絶対に失敗できない重要な裏ミッションが存在します。それは、試合前に三浦選手の機嫌とメンタルを最高の状態に保つための「接待プレイ」です。 木原選手はスポーツメディアの取材に対し、マリオカート等のゲームをする際の心がけとして「うまく調節して、璃来ちゃんが勝てるように(している)」と、絶妙な手加減でわざと僅差で負けてあげている事実を笑顔で明かしています。三浦選手が気持ちよく勝って機嫌良く試合に臨めるよう、氷を降りた盤外でも木原選手は完璧なコントロールを見せているのです。
理不尽な独自ルール!?「強制終了」も笑顔で容認
特に『桃太郎電鉄』では、りくりゅうペアならではの理不尽な「独自ルール」が存在します。JOC(日本オリンピック委員会)の公式動画等で明かされたやり取りによると、木原選手が少しでも有利になったり、三浦選手を邪魔するカードを使ったりすると、三浦選手が「はい、強制終了!」と言って容赦なくゲームの電源を切ってリセットしてしまうのです。 木原選手が「お邪魔系のカードを璃来ちゃんに使ったらもう強制終了」とボヤくと、三浦選手が「龍一くんも圧がすごいもん!」と漫才のように言い返す場面はファンの間でも大反響を呼びました。
普通なら喧嘩になりそうな理不尽な独自ルールですが、木原選手は「僕が勝てない仕様になっている」とニコニコと受け入れています。この盤外での絶対的な「フラットさ」と「木原選手の器の大きさ」が、試合本番での三浦選手ののびのびとした滑りと、世界一のシンクロ感に直結しているのです。
「今日は僕がお兄さん!」最高の意趣返し
三浦選手の「今回は私がお姉さん」
このエピソードの真の面白さを知るには、数日前の出来事に遡る必要があります。 金メダルを獲得したミラノ・コルティナ五輪ですが、前半のショートプログラム(SP)ではリフトでまさかのミスがあり、5位と大きく出遅れました。これに激しく落胆し、「自分が全部壊してしまった」と責任を感じて泣き崩れてしまったのが、普段はペアを力強く牽引している木原選手でした。
絶望の淵に立たされた木原選手を力強く支え、励まし続けたのが三浦選手です。三浦選手のメンタルサポートもあり、2人は翌日のフリーで世界歴代最高得点(158.13点)を叩き出し、奇跡の大逆転金メダルを獲得します。 表彰式後のインタビューで、泣きやまない木原選手の横で三浦選手は笑いながらこう語りました。 「もう龍一くんがずっと泣いてるんですよ。いつも引っ張ってくれる龍一くんが。だから、今回は私がお姉さんでした」 この頼もしい発言は、2人の絆の深さを象徴する名言として日本中で大きな感動を呼びました。
エキシビションでチャック全開のまま氷上へ

そして迎えた大会最終日のエキシビション。ここで新たな伝説が生まれます。 華麗に滑り出した2人でしたが、なんと三浦選手は衣装の背中のファスナーが全開のまま演技をスタートしてしまったのです。演技中にそれに気づいた木原選手は決して慌てず、「滑りながら考えて、デススパイラルの後なら閉められる」と冷静にリカバリーのタイミングを計算していました。 そして曲の途中で三浦選手が前で踊るパートに入った瞬間、木原選手は流れるような動きで彼女の背後に回り、振り付けの一部であるかのように極めてスマートにファスナーを上げる「神対応」を見せたのです。
木原選手の「今日は僕がお兄さん!」
演技終了後のインタビューで、このハプニングについて問われた際、2人はまるで漫才のような掛け合いを見せます。 三浦選手は「実は後ろのチャックを閉め忘れていて…」と告白しつつも、「いやでも、閉め忘れたのは龍一くんですからね!」と、事前のチャック係(三浦選手の言葉では”背中係”)であった9歳年上の木原選手に対して容赦なく責任転嫁をしました。すると木原選手は、「僕、滑りながら頭の中でちゃんと(リカバリーを)考えていました。今日は僕が“お兄さん”でした!」と、見事に言い訳をしてドヤ顔を見せたのです。
このユーモアあふれる発言は、数日前の過酷な状況下で三浦選手が放った「私がお姉さんでした」に対する、木原選手からの最高に気の利いた意趣返しでした。
2人のペア人生最大のピンチには年下の三浦選手が「お姉さん」となって励まし、ハプニングの時には木原選手が冷静な「お兄さん」としてフォローし、最後は笑い合いながらお互いを容赦なくイジり倒す。この9歳の年齢差を全く感じさせない「絶対的なフラットさ」と「深い信頼関係」こそが、氷上での圧倒的なシンクロ感と大逆転劇を生み出す最大の源泉だったのです。
まとめ:記録にも記憶にも残る、日本が世界に誇る「奇跡のペア」
三浦璃来選手と木原龍一選手の「りくりゅう」ペアが歩んできた軌跡は、単なるスポーツのサクセスストーリーにとどまりません。
お互いがスケート人生の岐路に立たされ、引退すらよぎっていたどん底の時期に出会い、「奇跡のトライアウト」を経て結成。そこからわずか数年で、日本フィギュアスケート界におけるペアの歴史を次々と塗り替え、2026年ミラノ・コルティナ五輪での劇的な大逆転金メダルという世界の頂点へと駆け上がりました。
その強さの根底にあるのは、9歳の年齢差を感じさせない「絶対的なフラットさ」と、互いを深く思いやる「120%の信頼関係」です。氷上での圧倒的なシンクロ感はもちろんのこと、忘れ物や転倒といったハプニングさえも「木原運送」や「背中係」として笑いに変え、苦しい時は「お姉さん」「お兄さん」として互いを力強く支え合う。そんな2人の飾らない人間性こそが、世界中のファンを惹きつけてやまない最大の魅力と言えるでしょう。
記録にも記憶にも深く刻まれた、日本が世界に誇る史上最高のペア「りくりゅう」。彼らがこれからどのような新しい景色を私たちに見せてくれるのか、今後の活躍からも目が離せません。


